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COLUMN

コラム

2018.06.14

インタビュー

現場上がりのトップだからこそ「高齢者もスタッフも楽しいケア届けたい」

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「車椅子の物理学者」として知られたスティーブン・ホーキング博士が2018年3月14日亡くなった。博士が、ALS(筋萎縮性側索硬化症)を発病したのは、オックスフォード大学を卒業し、ケンブリッジ大学大学院に入学した20歳の時だった。ALSは、脳や末梢神経からの命令を筋肉に伝える運動ニューロン(運動神経細胞)が侵される難病で、ある日突然発症するという。症状が進めば、手や指、足の筋肉が弱り、動かすことができなくなる。呼吸も自分の力ではできず、人工呼吸器が頼りになる。原因は現時点では不明とされており、日本国内の患者数は約1万人に上るという。

 

ALS専用の有料老人ホームを作る

株式会社SKY(福岡県福岡市)の代表取締役、佐々木一成さんは、今年9月、このALS患者を対象とした住宅型有料老人ホームを、福岡市南区日佐に開業する。入居者は、ALS発症者だけでなく、筋ジストロフィーやパーキンソン病など、神経性難病を煩う人を想定している。国内でも特化型は例がない。定員は27名だが、すでに20人の申し込みがあるという。なぜ神経性難病の人を対象にした施設を作ろうと思ったのか、福岡の佐々木さんを訪ねた。

現れた佐々木さんは、真っ白いポロシャツにチノパン姿でさながら介護職員のようだった。隣にいたスーツ姿の井上尚宏センター長の方が社長のように見える。  

佐々木さんがALS専用の有料老人ホームを作ろうと思い立ったのは、1年前に読んだ本、『閉じ込められた僕』がきっかけだった。ALSを発症した男性が記したその本には、ALS患者の人々は症状が進み人工呼吸器をつけなければならなくなった時、つけることを選択するのは3割だとあった。つまり7割の人は、死を選択しているという現実が描かれていた。

「その先にある人生にどれほど絶望しているのか、その苦しみは私の想像を超えました」
家族による24時間介護の難しさも、脳天を撃ち抜くように頭の中を巡った。

佐々木さんは、26歳で介護サービスを行う、株式会社SKY(福岡市早良区)を立ち上げた。

社是には、「QOL(Quority of Lif)の向上」
~良質かつ適切なサービスを通じて人々のQOL(人生の質)の向上に貢献する~

を掲げ、高齢者の生きがい作りに力を注いできた。

そんな佐々木さんは20年間介護や医療の現場にいるが、ALS患者と接した経験はなかった。実体験がなく、知識もなかったが、「神経性難病で苦しむ人々が未来に希望が持てる施設を作りたい」という思いは膨らみ続けた。しかし、すでに7棟のデイサービス、2棟の有料老人ホームを毎年のように建設し続けていたため借り入れも膨らみ、銀行が首を縦に振るとは考えにくかった。

佐々木さんは、銀行に対しALS患者の置かれた実態と施設の必要性を説明し続けた。

そしてついに追加融資を受けるに至ったのだ。

その時の気持ちは、「誰もやらないから、俺がやるんだ」以外になかった。

神経性難病の患者が住む建物を作る際、もっとも重視されるのは災害時の安全確保だ。人工呼吸器の停止は、即、「死」につながる。敷地内にはプロパンガスの自家発電設備を敷いた。なぜプロパンにしたかというと、ディーゼルエンジンより長く電源を確保できるからだ。水源は飲料可能な井戸を掘り、万一に備えた。井戸の電気にも自家発電を敷いている。全ての電源や水が止まっても、2週間は環境を変えず、外部の支援がなくとも生活を維持できるという。

立地については、福岡市の災害マップから100年に一度の震災があっても津波が来ないエリアを選定した。神経性難病の人々は自力で脱出できない。だからこそ、津波が来ず、床下浸水がない、水害に強い場所をしらみつぶしに探し回った。

介護スタッフは、実務経験3年以上、国家資格である介護福祉士の免許取得者、のいずれかが条件となる。会話ができない患者とのコミュニケーションは、目の動きで行う。仮に枕の位置を少し変えるだけでも、やりとりがうまくできなければ「そうじゃない、もう少し右、左」と1時間以上かかることもある。「この人はこの位置が好き」とか「この向きが心地良い」など、感覚でわかることが求められるのだ。そのため、通常の有料老人ホームよりも厳しい条件を課している。施設が完成した後は、定員27人に対し、50〜60人のスタッフが勤務する計画だ。

18歳で入った介護の現場

佐々木さんは、昭和53年、福岡県田川市で生まれた。高校2年の時、父親はサラして社会福祉法人を立ち上げる。現在も、3カ所のデイサービスと、有料老人ホーム2棟150室を運営する同業者だ。

高校を卒業した佐々木さんは、18歳で家業を手伝う形で現場に入った。最初に担当したのはデイサービス。他の介護サービスと比べ制約がないデイサービスは性格にあったようで、仕事は面白くてたまらなかった。この時、生涯介護の仕事をしていくことを決めたという。

24歳の時、父の会社で認知症デイサービスの開設プロジェクトを担当した。デイにやってくる利用者の中に認知症の人がいた時、一人でポツンと座っているのを度々見かけた。「専門にサービスを提供したらもっと突き詰めたケアができるのではないか」、そう思ったのがきっかけだった。当時田川市では前例がなかったが、行政への申請から物件の選定、人材の採用、教育、利用者の集客などすべて自分で考えながら行った。オープン後は、認知症患者だけの独特なコミュニティを持つデイが完成した。

「はたから見ると会話になっていないようなことであっても、それが成立していて…。認知症の人たちは、我々が想像できない世界を持っていて、時々すべてを見透かされているのではないかと思ってしまうくらいこちらが気づかされることがたくさんあります」

新規事業の立ち上げ、それに伴うサービスで人に喜ばれること、二つのことが叶う手応えを感じ始めていた。

しかし、社会福祉法人である以上、「事業拡大」や「収益向上」は二の次になる。「自分ならもっとやれる」。芽生え始めた事業意欲は日々募り続け、ついに独立という道を選ぶ。26歳だった。最初は小さなデイサービスからスタートした。転機が訪れたのは、独立して3年目の29歳の時だった。

それまでテナントを賃貸する形で行っていたデイサービスだったが、ある物件でオーナーチェンジがあり、新しいオーナーに退去を迫られたのだ。設備投資やリフォームをし、すでに利用者もいて稼働している物件だけに、佐々木さんは退去を拒んだ。結果裁判にまで発展する事態になり、揉めてしまうことに。近隣で移れる一軒家を探したが、容易には見つからない。最終的には銀行から借り入れをし近くに新築を建てる形で収拾させた。

「それまで資金調達にしろ事業規模にしろ、自分の責任の持てる範囲でしかやるつもりはなかった。しかしこのトラブルにより身の丈を超える借金を背負ったことで、どうせやるなら強くて大きい会社を作ろうと思うようになった。何がきっかけになるかはわからない。人間万事塞翁が馬」

デイサービス事業には満足していたが、介護度が高くなると、利用者は老人ホームへ行ってしまう。そういう人々の受け皿になるホームを自分の手で作りたいという気持ちは以前からあった。介護保険制度の改定もあり、デイサービス単体では事業が成り立たないという環境の変化も後押しした。佐々木さんは自ら老人ホームを建てることに決めた。

「介護の世界では、現場経験のある人間が出世してトップに立つということはあまりありません。一方で、現場を知り尽くした人が経営している施設はあるけれど、大規模に展開しているケースはない。自分はずっと現場にいた人間。そんな自分が社長としてやるなら、ほかにはない日本一の介護会社を作り上げたい」

佐々木さんの意志は固まった。

旅館専門の設計会社に依頼

 

現在経営する2棟の老人ホームでは、総勢190名の高齢者が暮らす。地元福岡だけでなく、遠くは東京や大阪、広島から噂を聞きつけ入居した人もいて、入居待ちもいる状態だ。

建物の設計は、旅館の新築や再生を専門にする熱海の設計事務所、石井建築事務所に依頼し、和風旅館のような建物に仕上げてもらった。賃料は、3万8000円。

「経済的な理由で入居できない人をなくしたい。しっかり仕組みを作れば安くてもいいものは提供できる。安いということは究極、社会に負荷をかけないことだと思う」

安さを実現するためには努力が必要だ。効率のいいケアを考えた時に行き着いたのは、施設内の壁を取っ払うという発想だった。

施設には、食堂、機能訓練室、静養室、事務室があるが、それらが壁で仕切られず大きな部屋の中に一緒になって存在している。それぞれの部屋が独立していると、例えばデイルームに人が集まるのは食事の時間帯だけで、そのほかは別々の部屋で過ごすという場合が多い。しかし、同社のホームでは、すべての入居者が日中のほとんどをデイルームで過ごす。介護度が高い人も、寝たきりの人であっても同じだ。そこには機能訓練できる場もリハビリの場も、運動する場も揃っている。デイルームに来れば自然と交流も生まれるし、職員の目も行き届くようになる。パッと見渡せば誰がどこで何をしているかわかるのだ。

職員は、介護計画やサービス実施の記録など、何せ書かなければならない書類が多い。しかしここでは、別の仕事をしながらでも全体を見渡すことができるのだ。

「そうすることで、人員配置基準は守りつつ、見守りができるため余分なこと、つまりプラスアルファのケアができるのです」

佐々木さんは自身が長く介護の現場でいたため、流れ作業でやらなくてはならない介護ほどやる側にとっても辛いことを知っている。

「そういう介護は楽しくない。提供する側にとっても楽しい介護の方がいい」 

お互いにとって居心地の良い空間を作ることが、社是にある「QOLの向上」につながると考えている。

将来的には日本中のあちらこちらに同社が運営するケアタウンを作りたい。

またALSと神経性難病の患者を対象とした施設も、200棟で5000人が住まう規模に拡大したい。

佐々木さんの夢は始まったばかり。

「私がやれなくてもきっと誰かはやると思う。であれば自分の力で生み出してみたい」

 

(インタビュー日:2018年3月28日)
(Hello News編集部 吉松こころ)

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