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2018.08.09

♯シェアリングエコノミー

築90年、元診療所がシェアオフィスになるまで

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東急田園都市線と大井町線が乗り入れる溝の口駅(神奈川県川崎市)から徒歩2分の場所に、築90年の元診療所が立っている。

「子供の頃、この建物の前を通って習字を習いに行ってたんです。その当時は、みんな面白ろおかしく、ここをお化け屋敷と呼んでいて。厚い壁に覆われて、なんとなく暗かったんです。今ではそんな雰囲気は微塵もないけれど……みんなの話題になる場所でした」

こう語るのは、越水隆裕さん(41)。かつてお化け屋敷と呼んだその建物を再生し、街の人々が集まる場所に蘇らせた、5人の男達の一人だ。

2017年12月3日、ここは、特定多数の人が集う共同事務所、つまり「シェアオフィス」と、地域の人が集う場所「nokutica(ノクチカ)」として、生まれ変わった。運営するのは越水さんらが立ち上げた「のくちのたね株式会社」。

診療所は、正確な文献が残るわけではないが、1915年頃に開業したと言われる。今から90年も前のこと。その日から今日にいたるまで、いつも地域住民の暮らしの隣にあった。

診療所としての役割を終えたあとは、学習塾や下宿として使用されたが、ここ数年、空き家状態が続いていた。

そんな中、建物を所有するオーナーから、既存の建物を残したまま再利用できないかと、地元不動産会社の株式会社エヌアセットに相談があった。有効活用方法を検討していくうちに、エヌアセット代表の宮川恒雄さんの頭には、ふたりの青年の顔が浮かんだ。それは、清掃活動やボランティア活動、イベントなどを通して地元を盛り上げている越水隆裕さんと石井秀和さんだった。

そこから宮川さん、越水さん、石井さん、そしてオーナーの管理担当山下さんと、エヌアセット広報室の松田さん5人による、話し合いが始まることになる。

議題に上がったのは主に2つだった。

まず一つは、ここで何をしたら地域のためになるのか、溝の口に足りないものは何か。そしてせっかくやるなら溝の口にとって初めてのことがしたい!という思い。

次に、建築基準法や消防法の問題だった。この2つを軸に協議を繰り返し行った結果、「シェアオフィス」はどうかという案が持ち上がった。その他、シェアハウスや飲食店、保育園などの案も上がったが、建築基準法と消防法の壁が立ちはだかる。シェアオフィスは、これまでの溝の口駅付近には実際に存在しなかったこともあり、「暮らす街で働く、表現する方へ貢献するため」にシェアオフィスにすることが決まった。

化学反応で地域に生まれる新しい価値

建物内は、1階部分に広さの異なる2部屋の時間貸しのレンタルスペースと契約者共用のフリースペース、2階部分には、コワーキングスペースと5部屋のレンタルオフイス、それにエントランスのテイクアウト専用のコーヒー店「二坪喫茶アベコーヒー」で構成されている。

オープンから半年ほど経った現在、コワーキングスペースの契約者は43名。5部屋のレンタルオフィスは満室で、今も問い合わせが絶えないほどの人気ぶりだ。レンタルスペースは、月に平均60組の利用者で溢れている。

 

どんな人がここを利用しているのかというと、圧倒的に多いのは、地元で働くフリーランスと主婦の人たち。「主婦の方たちが集まって、ベビーマッサージや筆文字教室、健康に関するイベントなどを頻繁に開催しています」(越水さん)

その他にも、会社を立ち上げたばかりのベンチャー経営者や、長年地域で暮らしてきた高齢者の人々、そして夏休みの時期には、高校生も利用しているという。

nokuticaの集客方法は、ホームページとパンフレット、FacebookやinstagramなどのSNS程度。費用をかけた広告はしていないが、運営者や入居者達のワクワクしながら利用している気持ちの波動が自然と伝わり、ほとんどの利用者が「口コミ」で集まってきた。

「コミュニケーションを持てる場所ができたことによって、地域の人たちが交流し、いつの間にか化学反応が起きて、街の新しい価値を生み出しています」(越水さん)と語る。

その証拠に、建物内では12の新規プロジェクトが立ち上がり、SNSでは、nokuticaに関連した投稿が340件以上にものぼった。

また、nokuticaがきっかけとなり、「のくちのたね」に寄せられた相談は、現時点で38件。主な内容が、賃貸の募集依頼、管理依頼、お部屋探し、売買、空家相談、相続など、地域人々が抱えるお困りごとが集まる場所になっている。もともと診療所だった時から地域の人々を助けてきた。その役割は形を変えて今もまた、新たな「誕生と解決の場」になっているのだ。

「地域」にも「建物」にもストレスをかけない

このように、地域に溶け込んでいるnokuticaだが、築90年の建物を再建築することは、決して容易ではなかった。

幸運だったのは、築90年にもかかわらず、建物の状態がとてもよかったことだ。このため既存のものを残しながら、何ができるかということを慎重に考えた。しかし、既存の建て具や柱、壁を活かしながらの解体、電気工事、水道工事を行うこと、具体的には天井や床下に潜りながら工事を行う点や、柱をみせるための石膏ボードのカットなどに大きな苦労がともなった。通常より一つ一つの作業に時間がかかるため、当初の工事計画よりも度々変更が必要となり、その困難は想像を越えた。

しかし、工事の間、通りがった人々から「あの診療所、どうなるの?」「何になるの?」という声が寄せられるようになった。オープニング記念パーティーの日、集まった人数は、およそ200名。ほとんどが、地元の人たちだった。

中に入ってぐるり一周し、建物の持つ歴史や味わいを久しぶりに感じた人々からは、「私、この診療所で生まれたんですよ、ここを残してくれてありがとう」

「ここが学習塾になった時、私の娘を通わせたのよ、思い出がたくさんあるの」と言った言葉が次々に寄せられた。越水さんたちの苦労が報われた瞬間だった。

再建築工事やその他にかかった費用、また、経営を始めて半年経った現在の収益などについて聞いた。まず最初の工事などでかかった費用は、約2,400万円。内訳は下記の通りだ。

工事費用(概算)

解体、ゴミ撤去

200万円

電気工事

300万円

弱電気(インターネット回線工事

80万円

ガス給湯設備工事

150万円

大工工事(床や壁の補強など)

450万円

塗装、仕上げ、クリーニング

150万円

門扉

70万円

外構

300万円

住宅設備(キッチン、エアコン、トイレなど)

300万円

その他

インテリアデザイン

200万円

ホームページ、パンフレットデザイン

100万円

家具

170万円

「密な」コミュニケーション

越水さんと石井さんは、自身、賃貸住宅を所有する大家さんの顔も持っている。

大家になって14年。越水さんは賃貸経営の現場で実感してきたことが、nokuticaの運営にも生かされているという。

取材中、越水さんが管理する賃貸住宅に住んでいる入居者との間で実際にあった、あるやりとりを教えてくれた。

ある日の夜のこと、

「今、お部屋にいらっしゃいますか?」

と、LINEメッセージに入居者から入った。

その時、越水さんは外出していて、そのメッセージに気づかず、次の日に「どうしたんですか?」と尋ねたところ、

「実は、子供が泣き止まず、旦那もいなくて。でも、酢飯を作りたくて、もしお部屋にいらっしゃったら酢を買ってきて欲しかったんです」と言われた。

これが大家と入居者の会話なのかと驚くが、越水さんは、日頃から密なコミュニケーションをとることを心がけているので、違和感など全くといった素ぶりで教えてくれた。

「人って、一括りにできないんだよね、コミュニケーションを続けていくことでわかることって、たくさんあるから」

また、こんな面白い試みについても話してくれた。

越水さんの管理住宅のエントランスには、小さな植園がある。育ったバジルは自由に使ってくださいと呼びかけていたところ、「バジルってどうやって料理に使っていいかわからないんですよね」と、メッセージをもらった。そこで、バジルとトマトのモッツァレラチーズパスタを作り、写真を撮って送ったことがあった。些細なやりとりから会話は始まる。越水さんは自ら実践することで、その成功体験を増やしている。

最近は、こういった活動が注目され、溝の口にとどまらず、あちこちから地域再生や元診療所再生といった話も持ち込まれている。

どんな街に住もうかな。それは、誰しもが思うこと。

取材中、nokuticaに関わっているような人たちがいる街に、私も住んでみたいと思った。

(Hello News編集部 ささき三枝)

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