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2018.6.4

失われた20年に生まれた女子のベトナム・ダナン生活

拉致され、フランスで生きることを決意した女性①

AIKO

AIKO

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こんにちは!AIKOです!

今日は私の夫の家族のことをお話ししたいと思います!

私の夫は、パリ生まれ、パリ育ちのフランス人です。見た目は白人なのですが、母方の祖母がベトナム人なので、ベトナムのクオーターです。

ベトナム語はほとんど話せません。彼の母はベトナムとフランスのハーフなのですが、彼女もベトナム語は全く話せません。

おばあちゃんがフランスに来た経緯を聞きたかったので、「どんなおばあちゃんだったの?」一度旦那に聞いたことがありました。

彼の祖母は非常に厳格な方だったそうです。食事の際に食べ物を残した時は、厳しく怒っていたそうです。

そんな彼の祖母は、10歳の時に初めてフランスに来ました。

フランスの植民地であったベトナムで、彼女は、両親、兄弟とともに、フランス人夫妻の元で働いていました。

時は1945年、日本軍は現地でフランス軍を攻撃し、武装解除。ここから日本が戦争に負けるまでの間、ベトナムは日本の単独支配となります。

自分が仕えていたフランス人夫妻も、フランスへ帰国することとなります。しかし、このフランス人夫妻は、どさくさに紛れ、彼女の手を取り、そのまま彼女とベトナムを去ろうとするのでした。

彼女には兄がいましたが、何らかの理由で、彼が行くことを拒んだのか、フランス人夫妻が拒んだのか、わかりませんが、彼は一緒に来ることができませんでした。

当時まだ10歳であった祖母には、そこに留まることすら選択できず、止むを得ずフランスで暮らすこととなったのです。

それからは50年もの間、フランスで過ごすこととなるのです。

4人の子宝に恵まれ、そして10人以上の孫にも恵まれました。

しかし、彼女は一度たりともそれ以上ベトナムのことを話すことはありませんでした。

ベトナムを去るあの時、何があったのか。

なぜ50年もの間ベトナムに帰ろうとしなかったのか。

兄との間に一体何があったのか

彼女の死後、彼女の子供達は意外な事実を知ることとなりました。

続く。。。

 

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AIKO

バブル崩壊後の経済停滞期“失われた20年”の、1990年6月4日に、青森県三戸町で生まれる。大学時代に訪れた母の祖国、フィリピンの経済成長に衝撃を受けたことをきっかけに、東南アジアに興味を持つようになる。大学時代、フィリピンでの不動産マーケティングを研究し、卒業後に日本の不動産を香港、台湾、シンガポールに販売する会社に勤務する。2015年、初めて訪れたベトナム・ダナンで、リゾート大国へ成長するポテンシャルを感じ、移住を決意。2018年3月、フランス人の夫と共にダナンへ移り住む。現在は、オフィスや住宅の建物・不動産管理、コンドミニアム売買仲介、海外企業の法人設立支援の会社に勤務している。

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