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2019.04.25

♯連載

【新社会人へのエール】“フーテンの寅”がブラック銀行で学んだこと《番外編その1》

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今回は、梅沢励さんの人気コラム「6つの“家”を持つ“現代版フーテンの寅”が伝授する『多地域居住ライフ』のススメ」の番外編をお届けする。日米に家を持つ自由な暮らしの達人、励さんという人間を作るのに影響している銀行員時代の話から、“現代版フーテンの寅”を3回にわたり解剖していく。

梅沢励

 日本に2つ、アメリカに4つ、合計6つの拠点を持ち、4台のマイカーを乗りこなして自由な移動と暮らしを繰り返す“現代版フーテンの寅”こと、梅沢励さん。東京、千葉、マイアミ(フロリダ州)、オーランド(フロリダ州)、ジャクソンビル(フロリダ州)、アトランタ(ジョージア州)を行き来する「多地域居住」の暮らしは、今年で16年目に突入した。5年前、グリーンカード(永住権)を手に入れ、生涯アメリカ居住を宣言。オンラインアパレルショップで生計を立てながら、週末は、アメリカ国内の催事場で日本から運んだ飴玉やグミ、チョコレートを売りさばく風来坊な生活を楽しんでいる。

ハチャメチャの就職活動

大学卒業後、アメリカに行く前まで働いていた銀行員時代は、僕の人生にとても強い影響を与えたと思います。

僕は大学(人数が少ない理学部数学科)に5年間通いましたし、就職先にコネを作れるような学生生活を送ってはいませんでした。

当時、就職活動は2月あたりから始まったように思いますが、すっかりそんな事に気が付かず、冬学期が終わった2月には完全に春休みモードで、2ヶ月間のマレーシア旅行にでかけるところでした。

2月初旬から4月初旬までの2ヶ月が春休み。待ちに待った休みだ!

成田空港でクラスメートに会ったんです。「どこに行くの??」って聞くと、クラスメートは「ハワイに1週間、同級生と卒業旅行だ」と。彼も5年生が決定していたので、彼の卒業ではないけれど、お友達と卒業旅行なんだって。

「1週間も旅行に出かけていたら就職活動に出遅れる!」

「お前はどこ行くの?」って言われて、、、

「2ヶ月間のマレーシア!」と答えると「まじで?!?!」って感じでした。

「就職って、4月からでしょ。しかも次の年の、、まだ2月だぜ?何言ってんの?」と思いました。

4月の中旬に日本に戻ってきました。留年して5年生になっている他の同級生から「就職活動してるの?」と言われ、「えっ?してないけど、どうすればいいの?」と聞きましたところ。。。。「まずは会社説明会に登録したら?」と言われて、リクナビに登録。

スーツを着てでかけると、友人に一言「ダブルの茶色はまずいでしょ……」

三越にいって、紺色の3つボタンのスーツを作ってもらいました。後々、銀行に就職した際に「2つボタンじゃなくて、3つボタンなのね?」って言われました。銀行員ってめんどくせー奴らです。

「銀行に入れば銀行に従え」

銀行ってリクルート制度なんです。OB・OGの人が、学生に会って、話を聞いて、というよりも、銀行の仕組みを教えて、教育するんです。そしてある程度育ってきたところで、ちょっと偉いOBと話をして、最後に人事面談に持っていく。

OB・OGが教えても、伸びてこない場合には、人事にも上げられないので、お断りということになる。普通は4~5人のOB・OGと面談して決まるのだけれど、僕の場合、銀行の知識がなかったので、15~16人の先輩と面談して教育を受けました。

2行銀行を受けていたけれど、両方ともそのくらいの人数の人と会って話をしました。

当時、携帯電話を持っていなかったんです。大抵の人、、というよりは基本的には全員携帯電話をもって就職活動をしていましたが、僕は持っていなかったので、家の電話を使いました。「携帯を持ってない!」という状況を先輩方は分からなかったらしく、突然、待ち合わせ場所が変わったり、時間が変わったりした場合には、僕は知らずに待ち続けました。先輩方も「学生が携帯を持っていない!」という状況を把握できなかったのだと思います。

銀行員ってリスクヘッジが仕事なのに、携帯電話を持っていない場合というリスクは想定外だったみたいで、初めてのアポで出会えなかったときは、「もう会わない」ってイラっとして伝えたんですけれど、「是非もう一度約束をしましょう」と。みんなとても優しい人たちでした。

私に対して、「ちょっと他とは違った学生なんだな」ということで興味を持ってもらえて、採用されたんだと思います。

僕の人生に大きな強い影響を与えたこと

銀行に入ってからはリクルーターとして活動しました。常に教えられたのは、「この人と一緒に仕事がしたいか?一緒に仕事をしている事が想像できるか?」を基準に面談することでした。

しっかり実践されていたのは、僕はどの先輩とも一緒に仕事がしたいと思っていましたので、良く面接をして性格を知り、同じ血が流れた仲間だったのだと思います。

今は、自分でも一緒に働く仲間を選ぶための面接をしますが、考えることは一緒です。「この人と一緒に仕事がしたいか?一緒に仕事をしている事が想像できるか?」です。

忘れられないエピソードがあります。銀行員は肝っ玉が小さいというか、間違いが許されないというか……、内々定を貰ったとき、「コウソクする」と言われました。「コウソクってなんですか?」と聞くと「拘束」のことらしい。他の銀行に持っていかれないように見張るんですって(それを剥がされるといいます)。

「勘弁してよ!就職するって言ったんだから、もうこれで、活動おしまい!内々定ありがとうございます。こんな活動めんどくさくってもうしたくないよ!僕は決まって嬉しいです!」と心の中で叫びました。

しかも、韓国から友人(男性)が遊びに来ていて、明日はディズニーに行くんだって。しかも数日前からその友人は来ているからさ、就職活動なんかしてる場合じゃないんだよ!って思っていました。そうしたら、一緒にディズニーランドについていくって言われましたので、半分怒って、、「勘弁してください!頭おかしいんじゃないの?」って思いました。

でも、後から思いました。「きっと世の中、裏切る人がいるんだなぁ、、」って。まったく今では想像できないけれど、会社が内々定を出して、それを取り消ししてくださいってそんな奴、信用されないと思う。まだ他に行きたいんだったら、内々定を貰うことをせずに活動するべきだと思う。相手にも失礼。銀行というのはそのリスクを自分で取れないのかもしれないから「逃げるな逃げるな!逃がさんぞ!」って威圧する。

就職して配属が決まって、指導を担当してくれるお姉さんが決まりました。3~4つ年齢が上、職歴も5年程度上。私はそのお姉さんに、裏で宇宙人と呼ばれていたみたいです。このお姉さんとは今でも時々連絡を取りますが、新人として入ってきた時、私のことを異次元な人だと思ったということです。銀行員っぽくなかったのだと思います。

銀行というものから得た印象と影響

銀行は間違いがゼロでなくてはいけません。ちょっとのミスも犯せない。ちょっとでも失敗すると、「×」がつくんです。バツがいったんつくと、それは一生付きまとう。中国の「科挙」という制度に似ている。

成功している人は、一段一段失敗せずに上に登ってきた人です。僕が配属された支店は、東京では有名な店舗で、ここで支店長をすると、役員になれる。もしくは役員を生み出してきた店舗と言われているところでした。先輩たちは各年代のエリート中のエリート。ザ!銀行員という人ばかりでした。

8時に裏のドアが開きます。その前には入っちゃいけません。そこに並んで待っています。始業は8時40分ですが、7時50分には裏のドアで並ぶんです。それがプレッシャー。間に合わないと、「ずいぶん遅い出勤だね」と言われるわけです。

帰りは8時です。8時に金庫をしめて、裏のドアが閉まります。8時にドアを閉めないといけません。サブロク協定とかで、8時には必ず閉めなければいけないんです。残業は月20時間という記録。毎日毎日8時でも残業は20時間。

仕事は社外秘でも持ち帰らないと終わりません、もしくは、朝一番で仕事を提出しないといけないので、持って帰るしかないんです。カバンを抱えて帰ります。万一なくしたら、社外秘ですから大変。。。「×」がついて、一生偉くなれません。ふらふらになるまで仕事します。

休日も仕事が終わらないから仕事します。有給休暇を取らなくてはいけないため、休みを取った日でも会社に来て仕事します。その日は、お客さんのところにはいけません。もちろん電話も出てはいけません。単に仕事をして提出します。先輩もそうやって仕事をしている人がいました。だから若者は絶対にそうやって仕事をしないと、「仕事もできないくせに休んでやがる」と言われます。本当に言われます。

それが嫌で嫌で仕方なかったけれど、会社の先輩ということだけで、ウソの敬意を払っていました。こんな人たちと街中で出会っても、多分、軽蔑すると思うほどでした。

忘れられないアドバイス

先輩からアドバイスも貰いました。「電車をホームで待つときは、絶対に先頭で待たないこと。万一倒れても、前に人がいればホームから落ちる事はない!」

こいつアホだと思いました。しかも、本気で後輩のためを思ってそうやってアドバイスしてくれているのだから処置無しだと思いました。

外交に来る保険のおばちゃんもいいアドバイスをくれました。「貴方の会社の人は他の会社の人よりも保険を使うのよ、ちゃんと入っておいた方がいいわよ」って。

「ふぅーん、いいことを聞いた。ここにいると他の会社の人よりも病気になるんだ!ここに長居はしてはいけないんだね、ありがとう!」ってね。

そんな仕事で疲れ果てているとき、本当にいいアドバイスをくれた先輩がいました。「梅沢君、好きなことをやってイイんだよ。君の人生だ、好きなことをやってイイんだよ」

まさにグッドウィルハンティング(映画)のワンシーンみたいな、今でもその言葉をよく覚えています。今は、好きなことをしっかりやることにしています。その先輩は仕事を辞めて、偉くなって、上場会社の役員をやっています。

一度、朝の駅で座り込んだことがあります。体に力が出なくなって、きっとこうやって人は倒れるのだと思いました。すると、肩をたたく人(年配の女性)がいました。「頑張りなさい!」この言葉に救われた。「大丈夫です!」って立ち上がれました。

ぎゅうぎゅうの満員電車で吐いたことがあります(酔っぱらってですが、、、)。まさかと思うほど、スペースができた(笑)。みんなジャンプしてよけた!一人のサラリーマンが手を引いて、外に出してくれた、ハンカチをくれた。「名刺をください」って頼みましたら、「若い時にはそういうこともある。頑張りなさいね」って。名刺はくれなかった。

お返しに、いつか誰かを助けなきゃイケナイ、そう考えた。翌朝、会社に向かう道で、少し離れたところで、女子中学生が吐いていた。「どうしたの?」と聞くと「ちょっと風邪をひいていて、無理して朝の練習に行こうとしたら気分が悪くなった」ということだった。持っていたハンカチをあげて、「今日は一旦おうちに帰りなさい。ゆっくり休んだほうが良い」

昨日貰ったハンカチのお礼が翌朝にはできた。目の前で人が吐いてるなんて、めったにない。今までの人生で目の前で吐いている人を見たことはない。ちゃんと恩返しができるチャンスはあるのだなと思う。

(梅沢励)

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