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2018.05.31

♯インタビュー

「自分の命を使って全力で探す」誠不動産 鈴木誠社長インタビュー

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「完全紹介制不動産会社」を貫く仲介会社がある。誠不動産(東京都渋谷区)だ。スタッフは鈴木誠社長とアシスタントの白澤さんの二人だけ。ビルの一室で営業する同社には看板もマイソクもない。紹介を受けた人だけが予約をし来店する。「ご縁ができた方には自分の命(時間)を使って全力で部屋を探す」と語る鈴木社長に話を聞いた。

 

マンツーで決まるまで

 ──「完全紹介・完全予約制」を貫かれていると聞きましたが、「完全紹介制」の定義はなんですか?

「ご紹介者から紹介を受けた方のみ、仲介のお手伝いをさせていただく」です。友達の友達とか、会社の部下の友人とか、紹介者の方が直接知り合いでない場合はお断りしています。

 ──設立当時からずっとそのスタイルですか?これまで何人を接客しましたか?

設立時から、変わりません。接客した数は、わかりません。

 ──え?わからない?

全然分からないです。数えたことがないんです。数字はめっぽう弱いんです。大体月20人だったとして、年間240人で、7年だと1680人。実際には1200とか1300人くらいでしょうか。

 ──アパレル業界から不動産業界に転身されたとか?

アパレルの仕事はどんなに頑張っても、頑張っていない人と給料が変わらないんです。店長になってもほとんど一緒です。一度、給料を上げてほしいと社長に交渉したら、1人だけ上げるのはできないと言われました。たまたま見ていた雑誌に、「25歳、年収1500万」と書いてあったのが不動産会社の求人。すぐに面接受けに行ったら即採用。それが、不動産業界に入った最初の一歩です。

 ──実際、1500万円になりましたか?

入社して2~3時間で、“1500万円なんてもらっている人は誰もいない”と気づきました。しかも不動産の電話営業で、「東京03の0000の0000」みたいなところから1日中かけていました。今なら、100万円もらってもやりたくないですね。

 ──でも、辞めなかった?

同期はみんな3日とか1週間で辞めましたが、私は辞めなかったです。けれど同僚に「鈴木は賃貸営業の方が向いているよ」と言われ、半年後に賃貸仲介の会社に転職しました。そこでは4年間勤務しました。ただ、おとり物件ばかりで。契約が終わっている物件でも普通にネットに載せていました。16年くらい前の、今思えば何でもありの時代。ノルマは仲介手数料と広告料で月85万円。達成できなければ、給料は12万円になる会社でした。

 ──今だったらパワハラですね。

当時は普通でした。

 ──今の鈴木社長の営業スタイル「決まるまでお付き合いする」とは真逆ですね。

はい、私と探している方が納得するまで部屋を探し続けます。今、最長は3年。ご夫婦のお客様なんですが、見つからない。今年は見つかるはずなんですけど、ちょっとまだ見つかってないんです。

 ──どうやって気持ちを維持していますか?

見つかった時のことを考えると、お互いにものすごくテンションが上がるので、“見つけたい”っていう気持ちがモチベーションを維持しています。お客さんとは同士みたいな感じになるので、どうしても一緒にゴールしたいなっていうのはあります。また紹介制の場合、紹介元の方がいらっしゃるので、例え1回でも変な物件は紹介できません。常にいい物件を紹介するという責任があります。

 

本当の不動産の仕事がしたい

 ──「完全紹介制」にしようと思い始めたのはいつから?

前職では「とりあえず決めなきゃいけない」、「案内に行ったら絶対落とす」で、お客さんの気持ちは無関係。ただ数字を追うだけでした。それでも以前決めたお客さんが再度来店してくれたり、物件のダメなところを正直に話したら、それでも納得して住んでくれた人がいたり。そいうのが続いた時に、これが本当の不動産の仕事ではないかと思ったんです。

 ──独立した時、資金的な余裕はありましたか?

なかったです。資本金は50万円で、今も変わりません。

 ──物件案内は、社長が一人でするのですか?

そうです。どうしても行けない時は、アシスタントが代理で行いますが、私も必ず見に行きます。

 ──社員を増やそうとか、もっと会社を大きくしようっていう考えはない?

ありません。増やすと別に店舗を借りなければいけないし、お客さんもお忍びで来た時に、他の人がいると嫌だと思うんです。弊社は予約なしで来られたお客さんの対応はしません。私自身、あと10年か15年くらいしかこの仕事はできないと思っています。だから無駄な時間を作りたくないんです。

 ──現在進行形で何名様ぐらいのお客さんがいますか?

40人です。毎日探して、物件があったら連絡して内見に行く、というスタンスです。賃料帯は5万円から、事務所だと150万円くらいで、お客さんにより様々です。

 ──大体どれぐらいの期間で、何件内見したら決まるものなんですか?

平均すると2回から3回の内見で、見る物件も5~6件。早い人は、1件中1件で決まることもあります。ご来店いただいて、初回はヒアリングだけをします。「1時間か1時間半だけ時間取ってください」とお願いして、絶対に案内にはいきません。最初にじっくり会話をして、どのような部屋を求めておられるのか共有するんです。

 ──そういえば、不動産会社なのに物件ファイルがありませんね。

朝7時半に事務所に来てat homeとレインズで物件をひたすら探して、物件が出たらお客さんにメールで送るというスタイルです。プリントアウトしておくと、9時半ぐらいにアシスタントが来るので、そこから空室かどうかの物件確認をしてもらいます。

 ──車は何に乗っていますか?

アクアです。いろいろ悩んで、アクアにしました。

 ──芸能人やスポーツ選手もアクアで案内するのですか?

そうです。杉並や世田谷が細い道が多いんです。50センチ、アクアのほうがレクサスより長さが短かったのと、後部座席が少し広くてお客様が乗りやすいと思ったので、アクアにしました。

 ──忘れられないお客さんはいますか?

みんな印象に残っています。毎年、誕生日と年賀状は手書きで書いています。ですから名前と顔は一致します。水曜日が休みなのでずっと書いています。

 ──ストイックな仕事のスタイルですが、早期にリタイアして、次にしたいことがあるんですか?

今はないです。ハワイに住みたいとか、いい車に乗りたいとかもありません。

 ──休みはどういう風に取っていますか?

毎週水曜日です。契約も鍵渡しも入れません。必ず休みます。休まないと、その後の1週間が機能しなくなるんです。最初のうちはどうしてもお客さんの要望に応えたいと水曜も出たり、案内に行ったりもしていました。けれど結局、ちゃんと休みを取らないと迷惑を掛けると気づきました。4年目ぐらいからですかね。

 ──ちなみに、ご自身の部屋はどうやって探しましたか?

嫁が探して、マンションを買いました。

 ──奥さんがいるのに、売り上げや数字にこだわらないという余裕はどこからくるのですか?

真面目にやっていたら悪いほうには絶対に行かないと思っています。そこは自信があります。

 

ブレそうになった時、気付いたこと

 ──一番辛かった時期はいつですか?

最初の年です。実はその時、友人の一人に手伝ってもらっていました。当然給料を払わなければなりません。ある時、「今月きついな」っていう月があったんですが、内見中に、「あ、これ、広告料が付いてる。こっちの物件で決まったらいいな」って思ったんです。そう思った瞬間に、「あっ、俺、会社つくった意味ない」と思って、そこで立ち止まりました。

たまたまその友人は他で仕事が決まり後日退社したのですが、こうやって社員が増えていったら、きっと広告料が高い方に誘導したりするようになるんじゃないかと。そうしたらサラリーマンの時とやってることが同じじゃないかと。気づけてよかったです。

 ──紹介者の人に何かキックバックはあるのですか?

ないです。「いい部屋に出会えて、喜んでもらえるから紹介しよう」と思ってもらえたらいいなと思っています。

 ──一番売り上げが低かった時はいくらでしたか?

80万円ぐらいの月がありました。3年目くらい。結構悩みました、お金の問題というよりも、どんなに案内行っても申し込みが入らなくて、それが12日間続いたんです。僕の中では「2日に1本」というイメージなので、仕事自体を間違えたのかなと、すごく不安になりました。でも13日目に決まって、一人で感動しました。

 ──いい物件に出会えると人生まで好転する気がします。これからも良い部屋探しをサポートしてください。

昔は、半地下だろうが日当たりが悪かろうが駅から遠かろうが、決まればいいという感覚でした。でも時々思うんです。「その時に紹介したお客さんの中には、部屋のせいで人生が変な方に行ってしまった人もいたんじゃないかな」と。それは本当に申し訳ないこと。ひょっとしたら、学校が遠過ぎて通えなくなった学生さんとかもいたんじゃないかと思うんです。それは絶対にあってはならないことです。

口コミだけで仕事していた時代があったと思うんです。江戸時代なら、「あそこのお蕎麦屋さんおいしいよ」とか、「あそこの店主が気前がいい」という感じで。僕は特別なことはしていないと思っています。昔からあるシンプルなやり方をこれからも大事にしていきたいと思います。

 

≪プロフィール≫
名前:鈴木 誠
生年月日:1977年3月10日生まれ(41)
出身地:茨城県

(取材日:2017年7月4日)
(ハローニュース編集部 吉松こころ)

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