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2019.03.28
♯シニアビジネス♯連載
私たちは、これまでに世界の誰も経験したことのない超高齢社会を生きている。シニア関連のビジネスは、この数年で急拡大したが、その多くが手探りで次の道を摸索中だ。
シニアビジネスの取材を続ける「シニアビジネス取材班」は、業界で生きる経営者たちの元を年間300社以上訪れ、その声に耳を傾ける。国の制度に縛られながらも、新しい価値を生み出そうともがく介護の担い手たち。それを支える周辺の起業家たち。その心の叫びを取材し、連載で紹介していく。
第二弾となる今回は、医療法人社団悠翔会の理事長、診療部長・佐々木淳さんのインタビューだ。なぜ在宅医療の道を選び、何を目指しているのかを語る。
フォーブスの表紙を飾り、新聞や雑誌に取り上げられることも多い医師は、そう多くはないだろう。厚労省キャリアや大企業トップから、ヘルパーのおばちゃんや患者まで分け隔てなく会話を交わす。在宅医療業界のトップランナーと注目を集めてもなお、訪問診療の現場を駆け回るそれが、首都圏で11の在宅療養支援診療所を運営し、常時4,000名の患者をサポートする医療法人社団悠翔会(東京都港区)のトップ、佐々木淳さんだ。国内有数の規模を誇る在宅医療集団を先導する佐々木さんに、超高齢社会における在宅医療の役割と意義を聞いた。
医療法人社団悠翔会(東京都港区)
理事長、診療部長 佐々木淳
生年月日:1973年生まれ
1998年、筑波大学医学専門学群卒業。三井記念病院に内科医に勤務。退職後の2006年8月、MRCビルクリニックを開設した。2008年に「悠翔会」に名称を変更し、現在に至る。
――佐々木さんが取り組んでいる在宅医療・訪問診療とは、医療の中ではどういう役割を担っているのでしょうか。
抽象的な言い方をすれば、病気や障害が治らない状態になったとしても、安心してその人らしい生活が続けられるよう24時間サポートすることが仕事です。主な対象は高齢者になります。「病気は治らないけれど、どうすれば本人が望む納得した人生を生ききることができるか」「残された人生をどう過ごしていきたいか」を一緒に考え、その実現に向けてサポートしていきます。
――治らない病気にかかっても安心した暮らしを送るとは具体的にどういうことでしょうか。
治らない病気や障害にかかった人は「もうこれ以上頑張っても病気は良くならないから」と、人生に対して諦めに似た感情を抱えてしまいます。しかし、その人が持っている潜在的な強さというのは必ずどこかにあるはずです。例えば、仕事好きでベットの上でもパソコンを離さないことや旅行のためならリハビリを頑張ることなど。それらを基軸に生活の質を高めていくことがその一つと言えます。
とはいえ、病気や障害があり体が弱っていくと入院のリスクが高くなります。みんな「入院すれば安心だ」と思っているけれど、実際には要介護の人は入院することによって身体機能も認知機能も低下して要介護度が悪化するというケースが多くがあります。
家であれば暮らしやすい空間で、自分にあった介護を受けることができます。しかし、病院では個人に合わせてカスタマイズした介護も生活もないですからね。
病気や障害の種類によって想定される入院のリスクはだいたい分かるので、在宅医療でそのリスクを最少にする。そうすることで入院回数・日数をできるだけ少なくすることができるのです。
――佐々木さんが在宅医療を始めたきっかけは何ですか。
三井記念病院では内科医として勤務していましたが、内科医ができることの限界を感じていました。元々は漫画「ブラックジャック」に憧れて医師を目指したのですが、病院では最初から最後まで一人の患者を一人の医師が担当することはほとんどありません。チーム医療として役割分担が徹底されています。医療機関として安全性と効率を追求すればこうなるのでしょうが、この仕組みであれば自分である必要はないなと。
一旦区切りをつけ、外の世界から医療を見てみようと、マッキンゼー・アンド・カンパニーに転職することにしました。その際、入社まで期間があったので、インターネットでアルバイトを探していたところ、訪問診療を行っているクリニックを見つけ応募しました。当時は、他より少し給料が高く、自宅から通いやすい新宿にあると都合が良いという条件だけでアルバイトすることを決めました。2006年の3月のことです。
――病院医療と在宅医療はどこが違いましたか。
最初の1ヵ月は院長に同行して高齢者の自宅に伺い、診療の様子を見ていました。
病院との決定的な違いは、相手を「患者」ではなく、「生活者」としてみるという点です。病院の医療は、病気・疾患を治すことを目的にしています。医師としては治せば勝ち、治せなければごめんなさいと患者を送りだすわけです。そこで患者との関係は終了します。
一方、在宅医療は治らない病気・疾患を抱えている患者に対して、残された人生をサポートすることが仕事です。そこには、ケアマネジャー、介護職、看護職、家族たちと協力しながら、患者の人生に最期まで寄り添うという病院とはまったく違ったコミュニティーがありました。
「こんな世界があったのか」。診療へ向かう車の中で、自分でもチャレンジしてみたいという感情が沸いてきました。
3月から始めたアルバイトで4月には自分で開業しようと決意し、5月には開業手続きに入っていました。マッキンゼーの内定は辞退し、東京大学大学院も4年目に差し掛かっていましたが中退しました。8月には晴れて保険医療機関としてスタートすることになりました。
――大学院も辞めてしまうほど、佐々木さんを動かした在宅医療の魅力はどこにあるのでしょうか。
「よく決断したね」と言われますが、自分としてはそれほどおおごととは捉えていませんでした(笑) 。やりたいと思ったらやってみなければ気が済まない性分なのかもしれません。
病院にいて診察している時は、患者というレッテルを貼り、“病気の人”として見てしまうので、健全な側面にはあまり注意を払わないんですよね。でも在宅医療では、その人が何を大切にして生きてきて、今は何を支えに生きていて、人生で何を成し遂げたいのかが我々の関心ごとです。言ってしまえば、病気があろうがなかろうが関係ない。もちろん病気があることで制限はかかるし治療も必要だけど、その人の人生の目的とうまく折り合いをつけていく。
アルバイト先の院長が担当していたおばあさんのカルテには「今日は芋をおいしそうに食べた」とか「久しぶりに孫が来て嬉しそうだった」と、日常の生活を手書きで記していました。病名や治療法が淡々と綴られる病院のカルテとはまったく違い、生活者を診るとはこういうことなのかと感じたことを覚えています。
病気や障害になったとしても人生が終わるわけではありません。在宅医療の現場では、治らない病気を抱えながらもみんな活き活きと充実した人生を過ごしている人がたくさんいます。
――本人や家族が病気や障害になっても前向きに生きていくためには?
若い人、たくましい人は病気や障害になっても、強い意思や自分なりの哲学で道を切り開いていくことができます。しかし、本人が高齢だったり支えるはずの家族が中年を過ぎていたりすると、どうしても柔軟な考えができず「俺の人生もう終わりだ」「母親は認知症になってお先真っ暗だ」と悲観的になってしまうものです。
そうではなくて、“人はいつか必ず病気になるものだ”という前提で生きていれば、「そういう時期に来たんだな」と、次の人生プランに移ることができるでしょう。
「いつまでも健康で長生きしよう」じゃなくて、「たとえ病気や障害を持ったとしても、その人らしく、楽しく、生きがいを持って人生を過ごそう」。そういうふうにシフトしていきます。
――在宅療養支援診療所の報酬は非常に高いですね。ビジネスとしても魅力的なものなのでしょうか。
確かに在宅医療は一人あたりの点数(報酬額)が高いサービスです。毎月の管理料・出来高を合わせれば一人月額7万円程度になります。売上・利益だけ追求しようと思えば、非常に割の良いサービスかもしれません。
しかし、我々医療者は、その報酬の7~9割を国民の血税で賄っていることを十分に理解しなければいけません。「納税者として見たときに今やっていることは許されるのか」。これは常に意識しています。利益だけを求めれば、それは社会悪となってしまいます。
※現在、医療費は年間40兆円を超え、団塊世代のすべてが後期高齢者(75歳)に到達する2025年には54兆円になるとの試算がある。本来自宅で暮らすべき社会的入院や、望まぬ救急搬送による終末期の入院も多く、医療費の1/3は入院費と言われている。
――納税者が納得する在宅医療とはどういうことでしょうか。
在宅医療機関の活躍が、自宅で暮らす患者のQOL(quality of life)を高め、そして入院回数・日数が減り医療費全体を下げることができます。これをしっかりとした形で示すことで初めて、在宅医療としてのビジネスは納税者から認められるんだと思います。
例えば、患者の容態が悪化した時に在宅医がすぐに救急搬送を指示しているのならば、それは入院費に在宅医療費が上乗せされているだけになってしまいます。安易な搬送は、入院につながり、入院費は減りません。このようなことが起こらないようにしないといけません。
国立社会保障・人口問題研究所の資料によると2010年時点の1都3県の高齢者数は732万人だが、2040年までの30年間で388万人増加し、その数は1,120万人となる。同期間での日本全体の高齢者の増加数は919万人。増加分の1/3以上が東京圏に集中している。
激増する高齢者に対して、在宅医療を手掛ける医師はまだまだ足りない。
日本国内には約10万の診療所があるが、24時間対応の在宅療養支援診療所として届けているのはそのうちの約15%。さらに、実稼働し看取りまで行っている診療所となるとさらに少ない。その理由は、少人数の医師で運営する診療所であっても、在宅療養支援診療所は24時間のオンコール体制、緊急往診などに対応しなければならないからだ。
「枕元に携帯電話を置いて寝る」という気概ある医師もいるが、これをすべての医師に強いるのは現実的ではないし、過酷な労働環境下では益々なり手は現れない。
そこで悠翔会では2011年、他の診療所の夜間のオンコール・緊急往診を代行するというサービスを開始した。主治医としてはこれまで通りそれぞれの診療所の医師が担い、夜間のオンコールと緊急往診を悠翔会でつくる当直チームが代行する。これにより、二の足を踏んでいた診療所が、在宅医療を行おうとする心理的ハードルは下がったと言える。
現在、約4,000人の患者を持つ悠翔会では、外部の16診療所(患者約3,000名)の夜間のオンコール・緊急往診を代行するまでになった。
増加の一途をたどる高齢者の終末期を支えていくためには、「地域のまだ在宅を行なっていない医師を最大限活用すべきだし、活用しなければ間に合わない」(佐々木さん)
高齢者医療・介護においては自社で抱え込む時代はとっくに終焉を迎えた。限りある資源をどう有効活用していくかが問われている。
(ライター シニアビジネス取材班)
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