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2021.01.28

♯家賃債務保証

<前編>東証一部上場企業のイントラスト桑原社長に聞いた、会社が大変だった頃

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【目次】
東証一部上場企業のイントラスト桑原社長に聞いた、会社が大変だった頃

リプラスの頃の保証業界

保証会社のイントラストに取材に行っていたのは、同社が創業して間もない2006年から2007年くらいだったと思う。「いろいろある保証会社の中でも、品がいいな、事務所が綺麗だな」というのが当時の印象だった。

イントラストの設立は2006年の3月で、賃貸業界における連帯保証人代行システムの構築を目指し、2社の外資系損保会社を歩いてきた桑原豊社長が2人の投資家と自身の資金を入れて資本金1億円でスタートさせた。

その2カ月前の2006年1月13日、最高裁で「利息制限法を超える金利については、利息の過払いであり債務者は返還請求できる」という衝撃の判決が下され、貸金業に見切りをつけて家賃保証会社に転職する者、新規に保証会社を設立する者が相次いでいた。

保証業界は、「雨後の筍」「群雄割拠時代」とも言われ、先んじて急成長を遂げていたリプラス(2008年9月に約320億円の負債を抱え破産手続きを開始)に追いつけ追い越せと言わんばかりのモーレツなシェア争いが繰り広げられていたのを、昨日のことのように覚えている。

当時の保証会社といえば、決して品のいい会社ばかりではなく、取材に行くとびっくりするような光景をよく目にした。事務所ビルの前で数人の社員がヤンキー座りしてタバコを吸っていたF社、接客ルームではいつも誰かが誰かを怒鳴っていたM社。勤務先に「金払えってファックスを送ってやったんだ」と自慢話のように話す保証会社の社長が普通に存在した。

あれから13年の時が経ったことになる。

2017年、予定を1日も違わず東証一部へ

桑原社長ともすっかりご無沙汰していたが、2016年12月に東証マザーズ、翌17年12月には東証一部上場と、着実に事業を拡大させているのは、ホームページで見ていた。ただ、取材で管理会社を回っても同社の社名を聞くことはあまりなく、他の保証会社に比べてあまり目立っていないような気もした。「せっかくなので会って話を聞いてみたい」、そう思いアポイントを取った。

久しぶりに訪問したオフィスは、やはり綺麗だった。エントランスを入るとすぐに大きなガラスがあって、その向こう側にオフィス内部と働く人々の姿をぐるりと見渡せるようになっている。以前から思っていたが、「やっぱりクリーンな会社だなあ」と思った。

桑原社長は、とても歓迎してくれた。いかにも外資系出身という感じの高級そうなスーツに身を包み、黒縁のメガネがとても似合っている。そつがなく、「向かう所敵なし」といった雰囲気だが、話し方は上場企業の社長とは思えないほど開けっぴろげだ。そして、以前と変わらずとても気さくだった。

 ――保証業界の中でも独自路線を歩んでいるイメージがあります。成長の転機になった出来事や一番大変だった時期について教えてください。

一番大変だったのは2010年で、2008年のリプラスショックの後です。2008年にリーマンショックがきて、ご多分に漏れず、家賃保証会社もバタバタと倒産しましたが、当社も資金面ではかなり苦しかったわけです。当時の親会社は投資銀行で、リーマンショックの影響を大きく受けていました。当社も創業間もない頃で足腰も盤石ではなく、このままでは倒産という寸前まで行きました。それで当社を引受けてくれる先を探しに動いたのです。結果的に、30年頼の付き合いがある玉上進一社長にお願いし、プレステージ・インターナショナルに株式が売却され、イントラストはなんとか軟着陸しました。

 ――すぐに軌道に乗りましたか?

とんでもない。そこから2〜3年は苦しかったですよ。古い不良債権が山のようにありましたから。経営が大変な時は回収もままならない状態で、十数カ月滞納している人もいました。「長期滞納者を放っておいちゃいけないんだ」と遅ればせながら気付き、人材を増やして回収業務を最優先させました。1年間で600件、弁護士移管をして赤字を吹き出しながらもようやく再起の体制を整えました。

2011年にプレステージから「(支援は)今年で最後」という通告を受けましたが、2012年には滞納がなくなりV字回復をします。その時にインフラを作ったストックビジネスは強いと実感しました。滞納を解決できれば、確実に利益を残せるとも知りました。その頃頑張ってくれた社員たちは今もいますが、全員が生きるか死ぬかの瀬戸際を共有したからこそ、東証マザーズ、東証一部とも1日も狂わず予定通りに上場することができたと思っています。

債権管理の部署さえないなかで…

イントラストにそんな大変な時期があったとは知らなかった。どちらかというとクリーンでクールに仕事をしているイメージしかなったように思う。

 ――1年で600件とは驚きました。その頃、桑原社長ご自身も、滞納督促に出向いた、ということでしょうか?

実のところ、当社には債権管理部という専門部署さえなかったんです。今考えると恐ろしいですよね。そのため営業担当者が回収業務を兼務しており、私も同行していました。現場を見なくして正しい判断は出来ないと思っていますが、その時の経験は本当にその後の事業構築に活かされたと思います。

その当時のことを詳しく聞くと、呼び鈴を鳴らすと威嚇のためか、部屋の中から大型犬を連れて出てきたり、同居人と思われる男性が凄みを利かせて出てきたり、一方で、やせ細った若い女性が恐る恐る出てきたこともあったと教えてくれた。夜逃げをしたと思われる部屋に警察官同行で訪問した時には、取り残された二匹の犬が、部屋の中で糞尿まみれになっていたこともあったという。孤独死という残念な報告を受けたこともあった。

一度は倒産寸前までいったイントラストだが、どのような戦略によって約200億円もの時価総額の企業へと成長することができたのだろうか。後編では、その理由と今後の展望について話を聞く。

(ハローニュース編集部 吉松こころ)

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